那覇大綱挽について

那覇大綱挽の沿革

 那覇大綱挽は、琉球王国時代の那覇四町綱の伝統を引き継ぐ、長い歴史を有する沖縄最大の伝統文化催事です。その発祥は、西暦1450年頃だとされています。地方の農村行事としての綱引きが、稲作のための雨乞い・五穀豊穣・御願綱を起源とするのに対し、町方(都市)の綱として、交易都市那覇を象徴する大綱挽です。

 那覇は、古くは浮島とよばれた一港村でしたが、交易品を取り扱う御物城、親見世の設置、中国から渡来した久米村、天使館、在番奉行所(御仮屋)など公館の設置で次第に発展し、西村、東村、若狭町村、泉崎村の那覇四町と称される都市に成長しました。那覇大綱挽は、その那覇の発展とともに周辺の村々をかしー(加勢)として加え、なーふぁんちゅー(那覇人)の心意気を発揚する行事として成立してきたもので、沖縄の稲作文化を基礎にした沖縄独特の大綱挽です。

 みーんな(女綱)、をぅーんな(男綱)をかぬち棒で結合させて、西東に分かれて挽きあう綱は、陰と陽の結合を意味し、人類繁栄を願う神話的行事ですが、古文書に「綱挽の儀は、国家平穏、海上安全の祈祷として挽き来たれ」とあるように、那覇四町綱は、例年6月ごろに挽かれていました。しかし、勝負に熱中するあまり喧嘩口論が絶えなかったところから、1812年(嘉慶17年・文化9年)那覇里主、御物城の命により『那覇綱挽規模帳』(規則集)が制定され、以後この規定により綱挽が実施されるに至りました。明治以降は、お祝い綱として幾度も開催されましたが、1935年(昭和10年)を最後に途絶えていました。戦後那覇市は、首里・小禄・真和志を合併して大那覇市となったところから、沖縄の祖国復帰の前年1971年、時の平良良松那覇市長により市制50周年記念事業として「10・10那覇空襲」の日に復活しました。

 以来年々盛況となって、1995年ギネスブックによって「世界一のわら綱」と認定されるに至って、那覇大綱挽は、いまや世界一の綱挽として、那覇市民・県民の誇りとなり、沖縄の観光振興に大きく貢献する沖縄最大の伝統行事として定着しています。

現在では、綱挽参加者は、平和安寧・市民繁栄・商売繁盛・家庭円満・子宝などの幸福を願って挽き、市民にとっては綱を挽くことが「繁栄・幸福・団結」をはかるための欠かせないコミュニケーションのひとつとなっています。

那覇四町綱之図(作者不詳 19~20世紀 縦93cm 横162cm)
那覇四町綱之図(作者不詳 19~20世紀 縦93cm 横162cm)

那覇大綱挽実施計画概要

1.趣  旨
1450年頃に始まり、古い歴史文化と誇り高い伝統を有する那覇大綱挽を実施する事により、市民安寧の高揚、市民相互の融和、並びに観光産業の振興を図り、併せて文化遺産を保護育成することを目的として、「那覇大綱挽」を実施する。
2.名  称
那覇大綱挽
3.主  催
一般社団法人 那覇大綱挽保存会
4.実施期日
毎年体育の日の前日(日曜日) ※台風の際は変更があります。
5.実施場所
・うふんなすねーい(旗頭行列 14旗):国際通り
・那覇大綱挽:国道58号、久茂地交差点
6.大綱の規格
(西方)女綱の長さ100m、(東方)男綱の長さ100m(全長200m) 直径1m56cm
総重量40トン 手綱総計280本(1本の長さ約7m) 綱は毎年新作(材料は藁)
7.参加人員
総観衆28万5000人(うち挽き手1万5000人)
  • 那覇大綱挽
  • 那覇大綱挽

那覇大綱挽保存会 組織体系

最高顧問
城間 幹子
特別顧問
比嘉 稔
玉城 正一
会 長
呉屋 守將
副会長
福山  保
安里 政晃
髙良 光雄
野原 由將
新垣 旬子
理事長
上江洲仁吉
副理事長
國吉 真哲
砂川 英昭
新垣 龍太
参 与
平良 修一
外間 政明
平敷 兼哉
執行役員
宮城 光也
屋良 栄作
新垣 淑豊
八木 明哲
新垣 昌人
比嘉 康雄
照屋 賢治
相談役
真栄里泰山
監 事
亀川 昌克
旗頭実行委員会
東一番実行委員会 / 安里実行委員会 / 壺屋実行委員会 / 泊実行委員会
久茂地実行委員会 / 首里実行委員会 / 真和志実行委員会
西一番実行委員会 / 辻実行委員会 / 久米実行委員会 / 若狭・松山実行委員会
垣花実行委員会 / 泉崎実行委員会 / 小禄実行委員会

那覇大綱挽の配置図

那覇四町綱之図(作者不詳 19~20世紀 縦93cm 横162cm)


みーんな(女綱)西
那覇大綱挽の西の綱、頭貫の輪が大きい。女綱の頭貫の輪を男綱の頭貫にかぶせる。
をぅーんな(男綱)東
東の綱で、頭貫の輪は女綱より小さい。
うふんな(本綱)
女綱と男綱を頭貫棒でつないだ綱のこと。
てぃーんな(手綱)
本綱を挽くために取りつけられた綱を手綱という。女綱と男綱の手綱の数は合計 280 本で、手綱を切り取って持ち帰ると、しあわせを持ち込むとされている。
かぬち(頭貫)
女綱と男綱とをつなぐために作った輪のこと。
かぬちぼう(頭貫棒)
女綱と男綱を結合する棒。直径43㎝、長さ3m65㎝、重量365㎏の紫檀の棒。1年365日に因んで製作されている。
はたむち(旗持)
旗頭行列で旗頭を躍らせる人のこと。
むむぬちはんたー
(股引半套)
那覇大綱挽の正式衣装の黒衣装のこと。 はんたー(半套)には、袖口と襟、結び玉に白の線がある。2本線はしーじゃかた(年上方・幹 部)1本線は、にーせーたー(青年)のものである。
いったんうび(一反帯)
むむぬちはんたーの上から締めるさらし一反の布で作った帯のこと。特に腹の前は旗頭を持つため厚くしてある。
したく(支度)
支度は、主人公、お供、旗持で構成している。主人公は、歴史上の人物に扮し綱挽きに先立って綱の上で見栄を切って対決する。
はたいれ(旗入れ)
頭貫棒を管理し、貫頭をつなぐ担当のこと。かぬちにんじゅ(頭貫人数)ともいう。那覇四町時代はぶし(武士・空手の達人)が当たった。
がーえー(我栄)
昔は綱挽で勝者が勝ち誇って勝ち関をあげること。現在は、旗頭我栄、空手我栄、支度我栄、綱方我栄がある。
むーちゃんちー
支度の四方を守る守護旗の事である。
しょーぐうちこみ
(鉦子打込)
綱挽開始の合図は、審判台の前で西・東の打楽器委員長がたたく鉦子である。最初に西東の打楽器委員長が「けんけんけんけん・・・・・・、けん」とたたき西の打楽器委員長が「けん」と最後に一回たたくと綱挽となる。西の一叩きがすべてである。この開始の鉦を叩くことを鉦子打込という。なお、綱挽終了の合図は、サイレンを鳴らして知らせている。
しょうぶしるしばた
(勝負印旗)
綱挽の勝敗を決する目印となる旗。頭貫口で頭貫をつないだ両綱の中心線から西に5m、東に5mの位置に勝負を判定するため旗の両側に立てる。

ギネス認定登録 3回

ギネス認定登録 3回

1回目
1995年第25回那覇大綱挽での綱が〝米藁で製作された世界一の綱〟として、最初にギネス認定登録された。
2回目
1996年第26回那覇大綱挽2回目のギネス認定登録。
3回目
1997年第27回那覇大綱挽にギネス社編集長が確認の為に来訪され、記録更新を確認された。
全長186m、総重量40トン220kg、綱直径1m58cm、手綱数236本、挽き手1万5000人、参加人員27万5000人と綱挽のまつりが認定登録された。その後も綱は成長を続けている。

那覇大綱挽が地方自治法施行 60周年記念500円貨幣に

地方自治法施行 60周年記念500円貨幣

平成19年に地方自治法が施行60周年を迎えたことから、新たな地方自治の時代における地域活性化への願いをこめて企画されました。47都道府県ごとに、各地を代表する風物、イベントが刻みこまれた五百円貨幣になっています。沖縄県では、那覇大綱挽をメインにデザインされ、平成24年7月18日に発行されました。


戦後70年 那覇大綱挽 記念切手

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